ミュシャ 美しき足跡

ミュシャ 美しき足跡

「みんなのミュシャ展」
渋谷BUNKAMURA。

2年前国立新美術館で公開された『スラヴ叙事詩』の鮮烈さがまだ記憶に新しいアルフォンス・ミュシャ(1860-1939)ですが、今回の展覧会は、ミュシャが34歳、パリにおいてサラ・ペルナール主演の舞台『ジス・モンダ』のポスターを手がけ一躍成功を収め,次々と優美な作風のパネルやポスターで人々を魅了、華麗な女性像とアールヌーヴヲーの曲線による華やかなミュシャワールドを構成するところまで。そして、多くのアーティストたちに大きな影響を与え、それは日本の漫画家たちにも。そのなかには『ファイヤー』の水野英子も登場し、友人は嬉々としていました。ラファエロ前派、ベルギー象徴派もまた漫画家たちに影響を与えていますが、ミュシャの装飾性は格別かもしれません。

しかしながらまたナチスの話になりますが、パリからチェコに戻りナショナリズムに貢献するミュシャに対してナチスが言いがかりをつけ、その厳しい尋問がもとでミュシャは命を落とすことになるのです。
こんなに美しい作品の先に潜む暗い影を想像するのは堪え難く,切なくなるのですが、今はただ甘美さに酔いしれていたいと思ったのでした。

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エッシャーの師

最近、ステーションギャラリーが面白い。
仕事帰りに「メスキータ展」へ。


そこで、昨年の上野の森の「エッシャー展」のなかで、気になっていた作品の謎が解け、溜飲が下りた。
それはエッシャーの『眼』というメゾティント作品で、眼のなかに映る骸骨に、不吉な予兆を感じた。それが、今回のメスキータの作品のなかに髑髏を見つめる男の作品があり、あの『眼』はメスキータの眼だった、と。
帰宅してすぐにエッシャー展の図録を開くと、何と『眼』のページにポストウィットが貼られ、メスキータについて記していた。
「サミュエル イエッスルン・ド・メスキータ(1868〜1944)ポルトガル系ユダヤ人 。ナチスがオランダに侵攻した際連れ去られアウシュビッツで死去。残された作品をエッシャーが救出。1946年アムステルダム市立美術館で展覧会を開く」
メスキータの名は今回初めて知ったと思っていたのに、既に昨年知っていたことになる。ハーロレムの建築装飾美術学校でエッシャーに木版技法を教えた先生だった。初期のエッシャー作品には多大な影響が見てとれる。

展覧会のキャッチコピーは「エッシャーが命懸けで守った男。」
「松方コレクション展」でナチスの侵攻・略奪に翻弄された絵画の話題に触れたけれど、ユダヤ人であったメスキータは最悪の結末に。
ゲシュタポに家族と共に逮捕され、収容所へ。そのドイツ軍に荒らされた作品を拾い集め、逃げたのがエッシャーと友人たち。見つかれば彼らの命も危険だったことは間違いなかった。
1945年、エッシャーは「戦争に協力しなかった作家の展覧会」に参加、翌年ド・メスキータ展の追悼展の企画を手伝っている。エッシャーたちが救っていなかったら、今回の展覧会も実現しなかったわけだ。
また、今回8万人ものオランダのユダヤ人が殺された事実を知り、エッシャーの作品に垣間見られた不穏な空気の謎も解けた。身近な人、大切な人が不当な理由で殺されるなんて耐えられない。

作品は木版が多く、さまざまな技法にチャレンジしている。カウンタープルーフがお気に入りで、ステートは何度も試み、興味深い。建築事務所で仕事をしていた経験から、フリーハンドでの線が見事。黒と白のコントラストが抜群に美しく、モダン。建築と友好協会の会報誌『ウェンディンゲン』の表紙は本当にクール。そこにトカゲがいて、エッシャーも多分見ていたかと。

感受性絵画と呼ばれるねじれや想像上の絵画を特徴とする特別な技法を開発した超写実主義の版画家の日本初の回顧展!!
贅沢にも4種類のフライヤーを表裏デザインを替えて制作していることに、美術館の意気込みを感じた。

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三渓園を創った男

三渓園でのお茶会というと、とてもワクワクしたことを憶えています。お庭の池に蓮の花が咲く季節の某茶会。白雲邸に座していると、広々とした茶室を風が吹き渡り、なんとも心地よい面持ちに。あの日の茶花は大山蓮華だったかと。正客様には申し訳なかったのですが、亭主は末客の私たちとばかり会話をされ恐縮しました。その亭主の方も既に鬼籍に入り、ただ懐かしい思い出です。

横浜美術館「原三渓の美展」へ。
昨秋アメニティ2000の会のみなさまと三渓園を散策したばかりですが、その際、原が自分の美意識の結晶とも言える三渓園を市民に無料開放されたという話に人間としてのスケールの大きさを感じましたが、きょうはさらに驚くことに。

生糸貿易で財を成した原。実家を継いだとばかり思っていましたら、生まれは岐阜県で婿養子。早稲田卒業後教師になり、教え子の原屋寿子と新橋で偶然出会い恋におち・・・という説もありますが、いずれにしろ近世日本経済を牽引する程の財界人になります。
その財産で5000点を超える至宝を蒐集するコレクターになるわけですが、原がコレクターとしての名を世に知らしめることとなるのが井上馨から当時1万円で購入した『孔雀明王像』。若干35歳の時でした。
こうして文化人としても頭角を表わした原は43歳で横山大観を通じて日本芸術院の名誉助会員となり、下村観山、菱田春草ら若い美術家たちを支援。そして自らも楚々と清らかな蓮の絵を描くアーティストに。
本当に恰好よいのです。
さらに三井の益田鈍翁、電力王の松永耳庵とともに当時の三代茶人と言われるほど数寄者への道へも傾倒します。鈍翁がよく仏画を床に飾ったように、原も技樂面など客が喜びそうなものを飾り、自らもかぶってみせたりしたとか。茶室の名建築も全国から三渓園に移築し、全く桁外れに贅沢で一流の審美眼を持つ道楽者たちかと。

しかし震災後は、財を投げ打ち横浜の復興に貢献、コレクションも散逸してゆきます。今回、トーハクから来ている作品が多いことに驚きましたが、寄贈されたものも多いのかと。原のコレクションと作品、ゆかりの画家たちの作品で構成された展覧会は、暫し暑さを忘れさせてくれる至宝の空間でした。後半の大和文化館所蔵の『寝覚物語絵巻』も是非見たいと心が逸ります。

戦争に翻弄された絵画

満を持して「国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展」へ。
既にTVでも特集番組がオンエアされ、知識だけはそれなりに。

最初に常設でお馴染みのモネの『睡蓮』に迎えられ、この絵が画商から買い求めた作品ではなく、モネと松方との友情の下に直接譲られたという真実に心が熱くなります。勿論その知識がなくても、ただただ美しい作品です。この絵が西美に来ればいつでも見られていたことに,今さらながら感慨に耽り、本当に幸せだったとかみしめます。
フランク・ブラングインの描いた松方の肖像と共樂美術館の構想図も同じ空間に。ブラングインの展覧会も過去に西美でありましたが、英国での松方との出会いが、この運命の一大コレクションの始まりだったわけです。

美術館への憧れ・・・以前白樺派同人たちの白樺美術館建設の夢にスポットを当てた展覧会が神奈川近美葉山館でありました。初めて日本に来たセザンヌの作品、折角手に入れたゴッホの『ひまわり』が震災で灰燼と化したこと・・・など思い出されます。やがてそれは少し形を変え、駒場の日本民芸館へと結実。柳や濱田の望外の喜びを知りました。

当時、日本人たちの文明への憧れ、切なる想いであった美術館建設。その実現に奔走した人たちの苦難の物語を、数々の作品の間から垣間見てゆく展覧会でした。
莫大な財力で作品を蒐集した松方。西洋美術だけで3000点もあったコレクションでしたが、時代の波に翻弄され、ロンドンでの倉庫火災、金融恐慌,ナチスの侵攻、疎開、パリでの売却、フランス政府の接収等で作品はどんどんその数を減らしてゆきます。そして寄贈返還の際に留め置かれてしまった十数点。

美術番組で、ロダン美術館に保管されていた作品群を知人の日置紅一郎がパリ郊外のアポンダンに疎開させたことが語られ、資金のために作品の売却も致し方無しとされながら、たった2点しか売らなかったと日美では語っていましたが、ぶらぶら博物館では数点売却と。本日、西美の棟岡さんに直接お尋ねすると19点と教えて下さいました。そもそも日本政府が1十割関税など掛けたりしなければ,もっと早く国内に移送できたのにと考えるのは私だけでしょうか。戦争さえなかったら、全てはそこに行き着く悲しい歴史です。
それでも、ここに残った素晴らしいコレクション。日置が売却したマネも、フランス政府に留め置きされたゴッホもスーティンも来ていました。
AI修復が話題のモネの『睡蓮 柳の反映』に残るピンクの睡蓮の生々しいタッチ。修復画像の精巧さにも驚き。

さらに今宵は「プレミアムフライデーイベント 西美×トーハク 松方コレクションにみる西洋美術と浮世絵版画」を拝聴。
登壇されたのは西美館長の馬淵明子氏とトーハク学芸研究部長の田沢裕賀氏、司会進行は先日ぶらぶらに出演されていた棟岡めぐみ氏。

現在トーハク10室に展示されている浮世絵は、日本人美術商林忠正から宝石商アンリ・ヴェヴェールへ売られ、その8000点を松方が買い戻したものとか。当時、浮世絵の人気は個人コレクターの間のものだけで、ルーブルも冷たい評価だったそうで、お陰でほぼ全てが戻ってくることが出来たようです。

安住の地を見つけた美しい作品たちの未来に、もう苦難の道がないことを祈るばかりでした。

虫めずるひととき

NHK「ネコメンタリー〜養老孟司とまる〜」という番組に心奪われて以来、すっかりファンになってしまった養老孟司センセイ。


本日は養老センセイとデザイナー佐藤卓氏との対談が21_21DESIGN SIGHTで開催され、取るものも取り敢えず六本木ミッドタウンへ。

昨年の科博の「昆虫展」以来の虫愛ずる時間。
デザイナーの聖地での展覧会ですから、虫へのアプローチもグラフィカルでユニークで繊細。隈研吾氏も作品には参加。監修は養老センセイで、面白くないわけがないのです。

さて、トークイベントの内容は、期待を裏切らない興味深いものでした。虫のお話よりも人の生き方の方に重きがおかれて・・・鎌倉 建長寺に虫塚を作られ毎年6月4日に法要をされているセンセイ、そこには幼少期より標本のために虫の命を奪ってきた自らへの戒めもあるものの、都会で暮らす私たちが意識なく虫を排除している現代への警鐘も。
例えば、1台の車が走行し廃棄処分されるまでの間には、1000匹もの虫を殺しているとか。また、日本は農薬使用料世界1で、2位は韓国。何の偶然か自閉症率の1位も日本で、2位も韓国。都会で暮らすことはなんでも理性で物事をコントロールするように脳を変え、結局コンピューターに頼る世の中へ。それは本来持つべき感覚を鈍らせ、ないがしろにする社会へと変えてしまったと。こどもに逃げ場がないから自殺をしてしまう。センセイの幼いころは山も海も近くにあり、何かあっても逃げ場があったそうで、友人の自転車での家出の話も少々。
また、ハチはあの小さな脳みそで毎日反省をしているそうです。過去に「人間の臓器で一番無駄にされている部位は?」という質問に対して、「ふつうの人の脳」とセンセイは答えられたそうで、虫の何百倍もある人間の脳、もっともっと使わなくてはいけないそうです。
まあ、今さら脳はともかく、感覚だけはもっと磨いて生きてゆきたいものと、そして虫への敬意を忘れないように、それを教えられたひとときでした。

◆養老語録◆
●発見とは、じつは「それを知らなかった自分」が「それを知った自分」に変わることである。

●感覚よりも概念を優先して、物の方を概念化しているんですよ。だから、賞味期限を過ぎたら捨てるでしょ。

自由学園にて

友人の清水ご夫妻が主宰される「建物の保存を考える会 アメニティ2000」のセミナーに参加。
アメニティ2000は日本で唯一国際ナショナル・トラスト機構に(IFTO)に加盟する協会。関西を中心に活動され、ヴォーリズ六甲山荘の保存も清水さんたちの活動の賜物です。
セミナーの場所は自由学園 明日館。
きょうは結婚式も催されていました。

セミナーのテーマはナショナル・トラストについて。
ナショナル・トラスト運動とは文化財・自然という貴重な遺産を所有し守っていこうと いう民間による公益活動です。その代表的な英国ナショナル・トラストは所有する資産、 支える会員数ともに世界最大の規模を誇り、この運動について、歴史、現状、理念の観点から、 千葉大学大学院准教授・潁原澄子氏、東京工業大学研究員・山本眞砂子氏、帝京大学講師・澤田悠紀氏の若手女性研究者3名が語って下さいました。
その成立は1895年。英国において平和の黄金時代と言われるヴィクトリア朝時代(1837〜1901)の絶頂期にゆらぎが見えはじめ、都市化が進み出したころ。
貴重な自然を守る為にさまざな法律が生まれ、その中には私法律など日本にはないものも。法律により守られた土地や建造物は何者にも譲渡されず、その土地に課税はされず、国民の共有財産となる。
何を、誰に、何の為に守るのか。
自然・生態系の保全だけでなく、文化遺産について言及された方もおられ、ナチスが奪った絵画の奪還を試みたモニュメンツ・メンについて、そして映画『ミケランジェロ・プロジェクト』の話も少し。
“あるべきものを、あるべきところへ”それがモニュメンツ・メンの信念でした。
ここで、「ナショナル」の意味をもう一度考えると、国家の、国民の、以外にも国粋主義という意味もあり、何とナチス(NAZIS)のNもナショナルと知り、ちょっとおののきました。考えさせられることは深く、広く、用意された2時間は瞬く間に過ぎてしまいました。

帰りにSHOPに立ち寄り、自由学園の飛び出すカードを求めました。

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リアル三国志

「特別展 三国志」
トーハク平成館にて始まっております。

日本・オーストリア外交樹立150周年記念「クリムト展」に湧いた上野は、夏休みに向けて、日中文化交流協定締結40周年記念の特別展「三国志」へと続きます。
今からおよそ1800年前、後漢王朝の混迷に端を発した三国志の時代は、幾多の武将の栄枯盛衰とともに記録され、のちには歴史性を帯びた伝説となり、さまざまなジャンルへと普及しています。
NHKの人形劇や映画「レッド・クリフ」を見て、いつかは読みたいと思っていた『三国志』ですが、結局父の書棚には近寄らぬままで、でもそんな「三国志」の壮大な世界に、誘われて足を踏み入れてしまいました。撮影ALL OK!

展覧会は6部構成。
魏の曹操、屬の劉備、呉の孫権らヒーローたちの紹介、赤壁の戦いはじめ著名な合戦にまつわる文物、さらに後漢時代から三国時代の兵器に至るまで多種多様な展示内容。広い空間を利用し、10年程前に江南省安陽市で発掘された曹操の墓も復元。虎形棺座も出品されています。
美しい玉や青銅器に眼福に与りつつも、やはり個人的に最も印象に残ったのは、その曹操高陵で出土された四つの耳を持つ白磁の罐(かん)。確か白磁の制作は6世紀の北斉からというのが定説だったはずなのですが、3世紀に既に作られていたとは。東博の陶磁器専門の先生方もお認めになられたそうで、これは本当に驚きでした。

考古学ならではの新たな三国志の魅力が、たっぷり楽しめました。

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夢のかけらが集結

恵比寿
Galerie LIBRAIRIE6にて開催の
「透明な夢」展へ。
シュルリアリストの聖地のようなギャラリーですから、
ナジャというリングをひとつ身にまとい・・・。

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野中ユリ『黒のデカルコマニー』
    『青と黄のデカルコマニー』 
柄澤 齊 『死の変容 洪水A・B・C』
     『Le mirair Laut reamone』
平 竜二 『Firefly』
桑原弘明 『一夜』
内村武史 『月光標本』 
松本裕子 『透明の夢』はじめ、宇野亞喜良まで、
まるでギャラリー全体がジョセフ・コーネルの匣のようで、
透明でキラキラした水晶がそこかしこにちりばめられたオブジェ、儚く淡い夢のかけらのような絵画で埋め尽くされ、思わず陶然としてしまいました。
ただ柄澤氏の木口木版だけが、非現実なイメージ世界のなかに凛とした品格、高い技術と深い思惟が感じられて、やはり心惹かれました。
集うひとたちも透明なパラレルワールドからいらしたような、どの方も優しく、美にうるさそうで、不思議な心地良さに包まれたひとときなのでした。

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工芸の未来

青山の草月会舘
イサム・ノグチ作石の庭園にて、
ロエベ ファンデーション主催の工藝展が開催中。
手仕事の素晴らしさ、伝統の技を受け継ぎ現代に昇華し、未來に伝える意味の大切さ…、世界の作家たちが魅せてくれます。

モンマルトルの紳士

梅雨の晴れ間の庭園美術館「キスリング展」へ。

エコールドパリの画家たちと言えば、すぐに思い浮かぶのはモディリアーニ、シャガール、パスキン、レオナール・フジタ、ローランサン、ユトリロなどで、私の中でポーランド出身のユダヤ人画家キスリングはあまり目立たった存在ではありませんでした。でもそれは多分、彼が自殺やアルコール中毒など人生の破綻もなく、温厚な性格と独自のスタイルの作品で、人々に慕われ、画家としての成功を掴んでいたからかも、と分かった今回の展覧会。

以前、DAIMARU MUSEUMで開催の「キキとモンパルナスの画家たち展」という展覧会の宣伝ポスターとフライヤーの制作に携わりましたが、モンパルナスの女王、ミューズとして芸術家たちに愛され、翻弄したキキ、ことアリス・プランを特に印象的に作品にしたのは、キスリングと写真家のマン・レイだったのでは。(勿論キキの最期まで付き添ったフジタを忘れてはいけませんが。)キスリングなら『赤いセーターと青いスカーフのモンパルナスのキキ』は大好きな一枚。今回もまたキキを描いた『長椅子の裸婦』は、暫し動けなくなる程魅了される作品でした。

キスリングはピカソやブラックが住んでいたルバトーラヴォワール(洗濯船)に住みながら、殆どキュビズムの影響を受けず、独自の古典的スタイルを貫きます。ラ・リュース(蜂の巣)でも暮らし、モンドリアンと親交が深く、それはアーモンド形の瞳の描き方に顕れています。
フランスのために戦いフランス国籍を得ますが、ナチスの台頭によりアメリカに亡命。ですがその人望と、色彩の濃いコントラスト、濃密でいて香り立つような独特の愁いを孕んだ画風で成功を掴み取ります。

人物と共に、今回多く展示されていたのがミモザをはじめ、花瓶に生けられた花、花、花。むせ返るように濃密な香気に会場は包まれていました。
キスリングの花たちを見ていていると、ふと1998年足利市美術館の「描かれた花〜ゴッホからモンドリアン」のゴッホが描いた花たちを思い出しました。ヒマワリではなく、ケシやヒナギク、グラジオラスといった花たちで、オランダ フランドル絵画の伝統を、キスリングも習得していたように思われました。

鑑賞後は美術館のレストランでランチ。緑濃き庭は、まるでキスリングの庭のようでした。

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