見えているものの本質を問う

「米田知子 暗なきところで逢えれば」写美。

米田さんは欧州に在住する世界的に活躍する写真家らしいのですが、その名を聞くのも作品を見るの初めて。

米田の作品には、物や場所が持つ記憶や歴史が投影されており、政治的な影や戦争の傷跡などをタイトルから知らされます。

例えば、これはタルコフスキーの映画のワンシーンのような雰囲気のある画像ですが、タイトルは『帝政ロシア時代、囚人が掘ったトンネルの入口“3人兄弟の岩”をながめて、アレクサンドロフスク・サハリンスキー(サハリン島より)』。他にもゾルゲがスパイ活動した足跡を辿る写真や、日本統治時代に設立された台湾銀行の寮というのもありました。

それは大変興味深く、鑑賞する側に実際に見えているものの本質を改めて問いかけるものなのですが、作品に対して妙に構えてしまい、その情報に邪魔されて純粋に作品と向き合えないといった感覚もいなめないものでした

しかしながら、そうした見方のあることを知るよい展覧会でした。

時は我々が何もしなくても流れていく。
ただじっとしていても、鼓動と血脈があるよう
ただ生きている。

空をみて、雲は早くも遅くも常に
形を変えて彼方へと消えていく。

何一つ、誰一人、
同じ場所(ところ)で、
同じ思いであるということは不可能だろう。

我々は目の前に写しだされた像を見ては
(無垢なき)観念 − を見いだす。

それは外から染められた
しかし内に秘めた 姿なき像である。

それは見えているのだが、
見えていないということと同じかもしれない。

見えないということは
見えているということに等しいかもしれない。

永遠ということは悲観的概念であり、
すべては永遠ではない − ことで
永遠を渇望する。

それに気づくのか、気がつかないか

‘過去を支配するものは 未来をも支配し
今を支配するものは 過去をも支配する’※

全ては断面的なことではなく
相反しながらも、継続的なことである。

米田 知子

George Orwell Nineteen Eighty-Four Penguin Books版より 翻訳は米田知子が行った。

130905

4 responses to “見えているものの本質を問う”

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