田中一村という豊穣

 

 先日、友人のoさんから「千葉市美術館で開催された「田中一村展」に行ってきました」とお便りを頂戴しました。生憎私は見逃してしまいましたが、久し振りの一村さんの展覧会が、一村ゆかりの千葉で本格的に開催されたことを嬉しく思いました。(なんと美術館開館以来の入場者数だったそうです)

 田中一村(1908~1977)の名を世に知らしめたのは忘れもしない1984年12月9日のNHK「日曜美術館」。「黒潮の画譜」というタイトルでした。その番組は反響を呼び、1985年1月に異例の再放送。瞬く間に全国の人々の心を捉え、私もそのひとりに・・・。今も国井雅比古氏のナレーションが脳裏に甦ります。

そして、「栃木県立美術館」にてその作品を目の当たりにし、抑えがたい感動に揮え、その数年後、三越美術館でも2度鑑賞し、大勢の来館者が嬉しくて嬉しくて、涙がとまらなくなったことを憶えています。その後、とちぎ蔵の街美術館、大丸ミュージアムでも鑑賞。

 一村さんは栃木市に生まれ、本名は田中孝。幼い頃より神童と言われるほど絵の才能に恵まれ、東京美術学校・日本画科に入学。同期には東山科夷、橋本明治の名も。しかし将来を嘱望されつつ結核により中退。清貧のなか南画を描いて生計を立てます。1947年、青龍展に出品した「白い花」が入選。一村の画号もこの時より使います。が、翌年出品した「秋晴れ」で川端龍子と激しく対立、青龍社から離れ、その後日展、院展などに出品し続けますが、龍子の計らいか(私の想像です)全て落選、中央画壇への絶望を深めます。1955年西日本へのスケッチ旅行が転機となり奄美への移住を決意。そして、絵描きとして自分が納得できる・生涯最後となる絵を描くため、1958年奄美大島に渡ります。このときの資金は姉の喜美子さんが家を売り工面。島では大島紬の工場などで働きながら、衣食住を切り詰め、不遇ともいえる生活のなか、全身全霊で奄美を描き続けます。20年ほどの島での生活のなか実際に描いた期間は9年ほどだったとか。ですが、再び中央画壇に立つことなく1977年9月11日、69歳でその生涯を閉じます。

 2004年9月、奄美大島の田中一村記念美術館を訪ねました。

最大瞬間風速60mという台風18号に直面し、ほぼ3日間ホテルに缶詰。4日目、静寂が戻った島内を父とタクシーで巡ったのですが、そのときのタクシーの運転手さんは偶然にも小学生のころ一村さんに頼まれ島を案内したことがある方でした。密林の奥にふたりで入り、絵に適した場所を見つけるなり、一村さんは少年のことなどもう忘れ、狂ったようにスケッチを初めたそうで、その姿はまさに鬼のようだったと・・・運転手さんは述懐されました。運転手さんも一村のファンで、よくスケッチに来ていたという笠利町の丘や、紬の里など、ゆかりの地を廻り、最後に一村さんの終の棲家に連れて行ってくださいました。夕陽に染まる小さな木造の家は、雑草に囲まれた廃墟でしたが、でも私の目には聖地のように神々しく見えました。

島内観光の折、映画のロケにも遭遇しましたが、それが2006年に公開された「アダン」でした。主演の榎木孝明氏は板屋波山の映画も撮っていて、波山を演じた後、自ら一村を演じたいと言ったそうです。榎木さん自身も武蔵美を出て絵を描いておられ、きっと一村への敬愛の念は深かったのだと思います。「アダン」は、東京都写真美術館と一般の映画館で鑑賞し、再び奄美への憧景を深めました。

島の美術館で、風景と同じ空気のなかで見た作品は、東京や栃木で見る以上に胸に迫るくるものがあり、鳥たちは今にも羽音をたてて飛び立ちそうに、植物は匂い立つようで、まるで作品たちは呼吸しているかのようでした。かつ、神の光を感じるほど気品高く、玄妙な趣に溢れていました。

余談ですが、余計なものは一切持たない奄美の生活のなかで、一村さんはピカソの画集を所持し、ひとりの女性像を恋人だと親しい村人に見せていたそうです。それがマリー・テレーズなのかジローさんなのか知りたいところです。また、東山魁夷の唐招提寺障壁画の「濤声」を新聞で見たとき、「波の音が聴こえない」とおっしゃったそうで、周囲の人たちはコメントに困ったそうです。ですが、その話を以前ギャラリー無境の塚田氏にすると「確かにそうかもしれないね」と答えて下さいました。

自分が納得する絵画・・・一村さんが死力を尽くして描いた奄美の風景は、確実に人々の心をわしづかみにし、感動させてくれます。その生き方、志の高さ、美へのなみなみならぬ執念も、真の芸術家としての姿として私たちに一石を投じます。

一村さんは南の島に渡ったことでゴーギャンと比べられることがありますが、ゴーギャンよりはるかに高潔でした。緻密な描写力から伊藤若冲の名も引き出され、お陰で私はかなり早い時期から若冲作品に触れることが出来ました。

一村さんが眠る墓は栃木市の満福寺で、本堂脇には碑が建ち、墓の横には「孤高の画家田中一村の墓」と案内が出ています。菩提寺が栃木市にあるため、お墓参りの帰りにときどき訪ねています。ご親族が千葉のためか殆ど線香の香もたつことない寂しいお墓ですが、(有名になるまで、その対応は冷たいものでした)先日の秋分の日には花が手向けられていました。奄美から戻ったとき、島で集めた貝殻を墓前に手向けたことがありますが、いつのまにかなくなってしまい、でもまたいつか奄美を訪ねて貝殻を届けたいと思っています。南の島の波の音を届けたくて・・・。

Oさん、ポストカードを有難う。

101008

3 responses to “田中一村という豊穣”

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