横浜美術館開館30周年記念
オランジュリー美術館コレクション
「ルノワールとパリを愛した12人の画家たち」
以前オランジュリー美術館へ行ったのも1月。
ホテルからタクシーをとばし、開館時間より早く着きすぎ、
オープンまで外で待っていると、出勤して来たスタッフの方たちが「もう少し待っててね」というアクションをしながら微笑みかけてくれたのが懐かしいです。散歩のワンコも赤いニットを着ていた寒いパリの朝でした。
ポール・ギヨームとその妻ドメニカのコレクション。
名画が飾られた室内は、ふたりの部屋を再現したジオラマです。私邸を美術館にするのがポールの夢でした。
最近気になるのは、ドメニカ・ギヨームとテオの妻ヨハンナ・ゴッホ=ボンゲル。ふたりとも夫を早くに亡くし、膨大な絵画コレクションの管理を任されます。ヨハンナは勿論ゴッホの作品ですが。
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年末恒例、西麻布 桃居さんへ「赤木明登 漆展」。
2009年に始めたこのブログの最初が赤木さんでした。
柔らかく立てた鎬が波のように連続する折敷や三段重など、
お正月の食卓に、華やかにモダンに格を添える新作の数々は、
また斬新な技と魅力を際立たせていました。
赤と黒、さらに白漆のモダンなデザート皿や、水たまりのような(丸)という不思議な黒いオブジェ(台?)、細く繊細なお箸にも心惹かれました。
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お客様のなかに宇都宮からいらした素敵なご夫婦がいらして、
版画家 柄澤 齊氏の作品を何点もお持ちとかで、
そのなかには私の大好きな作品もあり、
めずらしく私もテープルの日本酒を嗜みました。
柄澤さんから志村ふくみ先生に話題が膨らむと、
赤木さんも目を輝かせて、
ご縁が尽きない師走の一時なのでした。
28日には、赤坂の焼肉屋さんで忘年会を開催するお話も。
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1888年12月23日の夜、ゴッホはアルルで自らの耳を切り落としました。
上野の森美術館で開催中の「ゴッホ展」へ。
上野の森は、昨年のエッシャー展、フェルメール展、そして今回のゴッホと、オランダを代表する巨星たちが続いていてそこもとても興味深いところ。主催も同じ産経さん。
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ゴッホ展はほぼ全部行っていると思いますが、今回また初めて出合う作品も多く、改めて感動し、震える程の興奮を覚えました。
まず、最初に展示されていた初期の2点の水彩画は、とってもかろやかでモダンで、ゴッホの作品とは思えない程洗練されていました。
今回の展覧会は、ゴッホの人生を変えたハーグ派と印象派との出会いにスポットを当てています。
ハーグ派とは、19世紀後半、オランダの芸術の中心地だったハーグを拠点に活躍した画家たちを指し、ハーグ美術館から多数の作品が来ていました。ハーグでゴッホの師となるアントン・マエフェの作品は詩情的で、雪の中の羊飼いなど素晴らしかったのですが、ゴッホとは数ヶ月で決裂とか。この時期のゴッホは表面的な風景の美より、農民たちの生活の真実を追求したかったようです。
そして、弟テオを頼って行ったパリ。ここでゴッホに影響を与えたモネやルノワールなど、印象派の画家たちの作品も並びますが、モナコ王宮コレクション所蔵の作品などいずれも新鮮な色彩と光のものばかりが集結。ゴッホの作品もまた、鮮烈に急激な変化を遂げます。
会場の壁には、ゴッホが友人との手紙のなかで語った言葉が記されているのですが、特にゴーギャンについての言葉が衝撃でした。それは、「ゴーギャンは画家以前、人として素晴らしいんだ」と。どれほどゴッホがゴーギャンを愛し、過大評価し、共に理想の作品を追求したかったのかが分かり、切なくて苦しくなります。
テオは、ゴーギャンがアルルに行った本当の目的はゴッホに遂に伝えられなかった、と言っていたそうです。
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療養所に入ってからの作品を集めた最後の部屋は、もう圧巻の力強さで、その濃密なタッチ、色彩の世界には息がとまるかと思った程。そして何故か涙が混み上げました。
『糸杉』を中心に『サン・レミの療養所の庭』『蔦の絡まる幹』『薔薇』『夕暮れの松林』・・・。
あの中林忠良展に展示されていたプレス機で刷ったという版画『ガシェ博士の肖像』も片隅にありました。ゴッホを看取ったのもガシェ博士だったのでしょうか。
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お逢いしてきました。
44年ぶりに見つかったと言う、鏑木清方の名作『築地明石町』の美女。
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既にTVで、雑誌で拝見していましたが、実際にお逢いすると
本当に惚れ惚れとするいい女(あえてこの言い方)でした。
粋でたよやかな物腰
きりりとした眼差し
凛と美しい意思を感じさせます。
淡い花浅葱の小紋に黒羽織。
袂からこぼれる緋の色が色香を漂わせ、イギリス巻の髪がモダンで、よく似合っています。
この時代、長襦袢は着なかったそうですが、でも季節は秋口、袂に入れる手がひんやりとした空気のなかにいることを想像させます。さらに素足。でも足袋を履くのは野暮らしく、やせ我慢が恰好よかった時代らしいです。
ふっと新派の『日本橋』に出演されていた玉三郎のお孝を思い出しました。
両脇の『新富町』『浜町河岸』とともに、旧き佳き明治の時代の香りに心酔した冬の宵でした。
191214
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十二月大歌舞伎へ
ご招待を戴き、いそいそと。
玉三郎さんは、一昨年近美の樂茶碗展の際、
先代の樂吉左衛門氏と対談され
おふたり揃って「もう、充分やったからそろそろいいかな」とおっしゃっていたことが寂しく印象的でした。
程なく、樂さんは吉左衛門をご子息に譲られ、
まさか玉三郎さんも?と、心配しておりましたが
いまも変わらず優雅なお姿を魅せて下さり、
ほっと致します。
奇跡のような美しさ、たおやかさ。
密かに鍛え上げられた筋力の強さ。
樂さんと玉三郎さんと同じ時代に生きていることに、
何よりの幸福を感じずにいられません。
演目は「たぬき」「保名」「阿古屋」。
帰りにキルフェボンに立ち寄り、タルトに舌鼓。
暖かく穏やかな師走の一日でした。
191210
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小春日和の本日
「川上不白生誕三百年記念 江戸の茶の湯」へ。
5月の燕子花以来の根津さんです。
紀州徳川家の茶道師範をしていた表千家七代如心斎天然宗左に入門し、後に千家流の茶を江戸に広めて不白流の茶事の祖となった川上不白。
表千家とは深い関わりがある筈なのに、今迄あまり学ぶ機会がなく、今回しっかり学ばせて戴きました。
特に印象に残った事が2点。
表千家にとって何より大切な寶物が千利休の遺偈ですが、それを所持していたのが江戸は木場の豪商 冬木家。その遺偈を表千家に譲り受ける為に尽力したひとりが不白だったそうですが、冬木家は不白の門下なのでした。
また、近代の茶人では藝大5代学長の正木直彦氏。藝大茶会にてメインの広間となった正木記念館は、正木学長の功績を記念して建てられたもの。正木氏も江戸千家流を嗜んでいた方だそうです。
本日は、錦繍の庭園に建つ茶室のひとつ、弘仁亭・無事庵が一般公開。修学院離宮の茶屋を思わせるディテールにも凝らされた意匠が光る茶室から、ゆるり眺める紅葉。鹿威しの音が小鳥たちの囀りのなかに響き渡り、空はどこまでも青く高く・・・。
南青山で愉しむ紅葉狩りも一興なのでした。 191205
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「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」
満を持して京博へ。
1983年に放映されたNHKの特集番組「絵巻切断〜秘宝三十六歌仙の流転」の再放送を見たのはいつだったでしょうか。
大正8年(1919)、品川の御殿山にあった益田孝(鈍翁)邸の応挙館で行われた絵巻断簡事件と、そしてその後の戦争、高度経済成長、バブル崩壊など激動の歴史のなかで、次々と持ち主が変化、流転する歌仙絵を丁寧に追跡、特集した内容はとても興味深く、衝撃的でした。
籤引きでは
原三渓が小大君(いまは大和文華館)
吉兆の湯木さんが在原業平
逸翁美術館が藤原高光
相国寺さんが源公忠
住友家は源信明
野村家は紀友則
鈍翁の弟が坂上忠則
・・・・・
そして籤で坊主を引きあてたにも拘らず、すっかり不機嫌になって周囲に圧をかけ、遂にはルール違反を犯して、垂涎の絵仙と交換させてしまった鈍翁は、一番人気の斎宮女御を。
あれから約100年。
今は東博に寄贈され、静かに庭園の片隅に佇む応挙館ですが、藝大茶会が催された時、室礼には鈍翁ゆかりの道具が多く使われ、そこが茶人や有識者にとって衝撃の歴史の舞台であったことは、忘れられていませんでした。不遜にも数年前、そこで自分も点前が出来たことは一生の思い出です。
ですから、佐竹本三十六歌仙の展覧会をするなら東博こそがふさわしいと思っておりましたが、今回の展覧会、上野での開催はないということで京都へ。いつ何が起こるか分からない昨今のさまざまな事情は、「また今度」の選択を許してくれませんから・・・。
さて、住吉大明神を含めた37枚の内、過去最大の31枚が集結した今回ですが、入れ替えがあるため常時31枚が鑑賞出来るわけではなく、そのなかで、6日から10日までの期間が最も多い29歌仙が並んでいて、この日になったのは樂美術館のお陰で、すべての巡り合わせに感謝です。
つい、その高額さ、話題性ゆえ、ステータスとして所有した人もいたでしょうし、次から次へ流転のことばかりが話題になる佐竹本ですが、まずは何よりも歌仙絵の素晴らしさが他の追随を許さぬ見事さなのです。描いたのは当代随一の絵師藤原信実。歌の意味に寄り添い描き分けられた歌仙一人ひとりの表情、姿態、装束の文様などが、詠み人の心情まで描いており、その侘しさや恥じらい、懐かしさ、恋しさまでが伝わってくるようです。
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また、大正時代の数寄者たちによる表装も見どころのひとつです。絵の上下の一文字、周囲の中まわしの裂地選びにも美意識が光り、特に『坂上是則』の「みよしのの山の白雪つもるらし ふる里さむくなりまさりけり」の歌に、うっすらと雪が降り積もる山と鹿を描いた中世の大和絵をそのまま使用した鈍翁の弟の大胆さは圧巻で、会場でも存在感を放っていました。
扇がちるもの、蝶が舞うもの、さまざまで、いまはサントリー美術館所蔵の『源順』は、最初の所有者は高橋箒庵で、なんともモダンな墨流しの紙を仕立て、それを中まわしとして表装。目が釘付けに斬新さでした。
さらに戦後、『藤原仲文』を手に入れた北村美術館の北村勤次郎は、絵画の上下の一文字だけを大変希少で美麗な裂地・蜀江錦に替え、さらに美の価値を高めました。
今回の調査では、行方不明になった歌仙があることも分かったそうで、海外流出だけはないことを祈るばかりです。斎宮女御、中務にもいつかお目もじ致したく存じます。
会場は薄暗く、大変目が疲れましたが、これも文化財を未来に残すため、耐えて、時間の許す限り堪能させて戴きました。
191108
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京都から近鉄特急で55分。
橿原神宮へ初参拝。
紀元前7世紀、日本神話の登場人物、神倭伊波礼毘古命(かみやまといわれひこのみこと)が橿原の地に訪れたとき、不思議な力に引き寄せられ、國を治めるならここだと橿原宮を築き、第一代天皇として即位。それが神武天皇と伝えられています。
父がここで弓道を奉納したことがあり、かねてより気になっておりましたが、令和元年ふっと呼ばれるように訪ねる事が叶いました。
曇りがちだった空も、橿原神宮前駅に着く頃には秋晴れに。
広大な敷地にはたま風が清々しく吹きわたり
畝傍山を背に建つ荘厳な本殿は、桧皮葺の素木造り、
境内に足を踏み入れるなり、何故か涙がこみあげ、これは
伊勢神宮にも似た感覚でした。
勅使館も見学でき、歴史の世界に想いを馳せつつ、
令和の平和を祈りました。
191108
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8月、別荘を後にする茅野の駅に貼ってあったポスターに心惹かれ
ずっとその版画作品に憧れていたら
願いが叶っての
「中林忠良銅版画展 ー腐食の旅路ー」
品川 Oギャラリー。
本日は中林氏のギャラリートークが。
いま、全仕事・技法を紹介し、人生の幕引きに入りつつも、
精力的に作家活動も続ける中林氏。
駒井哲郎氏に憧れて版画の世界にベクトルを変えた藝大時代のお話や若い頃の葛藤も、快く語って下さいました。
ヴォルスにも影響を受けたと。
師である駒井哲郎が憧れたのが長谷川潔。
長谷川が誰もなせなかったレース作品を完成させた
ソフトグランディングエッチングの秘話とともに
それを刷った大変希少な17Cのプレス機まで会場に展示。
パリで、ポール・ガシェより長谷川が譲り受け
フランス政府の孟反対もクリアして日本に来たという木製プレス機は、ゴッホの唯一の版画作品もプレスしたものとか。
版画に魅せられた芸術家たちの歴史と伝統と技を見せ付けられた、そんな想いのひとときでした。
191026
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